表現活動
あれから30年
ちょうど30年前のこと
私は精神科という道に足を踏み入れた
大学2年生になった私は、精神病院で夜勤の看護助手のアルバイトを始めた
あれから30年
私は今、ここにいる
道の途中で、いろんな人と出会ったっけ
いろんなことと遭遇したっけ
いろんな想いをしたっけ
過去-現在-未来
なんだ、一本道じゃないか
今、気づいた
あれから30年
「綾小路きみまろみたいだね」
妻はそう言って、2人で笑った
すべては結晶なのかもしれない
「第28回長野県障がい者文化芸術祭」(2025年)に出品した自由詩と書道です。
自由詩は「奨励賞」(長野県障がい者福祉センター所長賞)をいただきました。
手ごたえ
これから先どういう人生を歩むのが「正解」というのはないのではないかと私は思う。
大切なのは、大事にしてゆきたいのは、自分なりの「手ごたえ」と「納得感」だ。
いつの日か、今まさに自分の人生に幕が下りようとするときに、薄れゆく意識の中で、自分なりの「手ごたえ」と「納得感」をある程度感じながら、自分の人生の幕が下りるようにしたい。
自分が生まれて、今に至る、48年の歳月。
たくさんの「ヒト・モノ・コト」との出会い。
過去を否定するのでもなく、否認するのでもなく。
過去にしがみつくのでもなく、こだわるのでもなく。
過去は過去として大切に、大事にしてゆく。
小説でいうと「次の章」に入ったと思って、生きてゆく。
小説も人生も、展開は本当にわからない。
そんなことを思いながら、私は、いまを、日々を、生きている。
書道「ベゲタミンA」
ベゲタミンは、昔、精神医療で使われていた薬です。
私が精神病院で夜勤の看護助手のアルバイトを始めたのは1996年でした。
当時、ベゲタミンを飲んでいた患者さんたちがいました。ベゲタミンAは「赤玉」(あかだま)と呼ばれていました。
日本の精神医療の歴史を感じます。
特定非営利活動法人凸凹ライフデザインの冊子『障害をオープンにすること』(2025年4月30日発行)に寄稿した文章です。
https://unevennpo.wixsite.com/decoboco/decoboco-booklets/booklet
<わたし>が主体的に選んで決める:障害をオープンにすること
【はじめに】
私は2004年に「うつ病」を発症しました。
2005年に精神科病院に入院しました。
2023年秋に躁状態となって、精神科病院に入院しました。
病名は「双極性障害」(躁うつ病)になりました。
【障害をオープンにすることについて】
私は2004年に「うつ病」を発症してから、2024年2月に精神科病院を退院するまで、自身の「病気」(うつ病)に関しては、本当に限られた、ごく一部の人にしか言ってきませんでした。職場でもそうです。
そのため、具合が悪くなって、もうどうしようもなくなっては、職場を退職してきました。
なので、職場は、一番長くて5年で、職場を変わるごとにその在職期間はどんどんと短くなってゆきました。
2023年の秋に精神科病院に入院して、だんだんと落ち着いてきて、よく、精神科病棟の病室(個室)のベッドで横になって、天井を見つめながら、思い、考えました。
主に、「今後の自分の人生をどう生きてゆこうか」と「自分の病気・障害について、どう他の人たちに伝えてゆこうか」を考えました。
そして、日々あれこれ考えた結果・・・
「自分が伝えたい人には伝える」
「自分が伝えて受け止めてくれそうな人・理解してくれそうな人には伝える」
「無理はしない」=「無理に<みんな>に伝える必要はない」
「自分と相手との<関係性>や<信頼関係>や、伝えることのメリット・デメリットをよく考えて、伝える/伝えないを<自分>が選択して決める」
そんなふうに、自分のココロの中で整理して、決めました。
<選択権>は自分にあるんだ、<主体>は自分なんだと思うと、だいぶ自分の気持ちもココロも軽くなりました。
「0」か「100」か、どちらかではなく、その都度、状況に応じて、柔軟に、<しなやかに>考えて、<自分>が選んで決める。
それを、2024年2月の精神科病院の退院後、日々心がけています。
もちろん、「自分としては、受け止めてくれると思ってその人に伝えたけれど、受け止めてはもらえなかった」や「伝えたけれど、何の反応もなかった」こともあります。
「残念だなぁ・・・」と思う自分の気持ちを認め、許しつつ、「まぁ、しょうがないかぁ~」と思う気楽さも同時に大切にしてゆきたいなぁ~と思って、今、毎日を生きています。
書道「アナムネ」
書道「三混筋注」
書道「ムンテラ」
